船上ウェディングとして大活躍!横浜から出航する,優雅な寛ぎをご提供するクルージング『ラブベリー』

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東京クルージングガイド

お台場の歴史

お台場とは国防の為、増築された陣地の事で大砲や陣屋などを設置している砲台であり、実は「お台場」と呼ばれる場所は他にも北海道の五稜郭など全国にいくつかある。
東京湾のお台場は江戸末期、ペリーの黒船来航の際、あわてふためいた幕府が75万人を使って建設させた名残で第六台場まであった。軍事施設として建設されたお台場だったが、実戦に使われる事のないまま放置された。現在は二か所が残存し、公園となって砲台のレプリカが置いてある。

レインボーブリッジ

レインボーブリッジは芝浦とお台場を結ぶ吊橋。1987年着工、1993年開通。長さは798メートル。レインボーブリッジの名前は一般公募により決められたもので、正式名称は「首都高速道路11号台場線・東京港連絡橋」である。原付は走行禁止である。
下層の両側に歩道があり、歩いて渡る事ができるが自転車の乗り入れは禁止である。かつては東京都道482号台場青海線が産業道路の為、お台場に人を入れる事を嫌い有料だったが、今はマンションなどができ、有料にするのが難しく、無料になっている。

東京タワー

東京タワーとは港区芝公園四丁目にある東京地区の集約電波塔。着工1957年、1958年に完成した。設計上は最上部で風速100メートル、下部で風速80メートルに耐え、関東大震災の2倍クラスの大規模地震でも安全という事になっている。この塔の正式名称は建築主にちなみ、日本電波塔である。当時、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で建設された総合電波塔である。放送事業の将来性に着目した大阪の新聞王、前田久吉によって計画された。塔はフランス・パリのエッフェル塔の324メートルより高く、333メートルである。

晴海客船ターミナル

東京の海の玄関口。世界各地の豪華客船をはじめ、日本最大の豪華客船「飛鳥」や南極観測船「しらせ」や外国艦船などがここから出港する。平成3年に開港50周年の記念としてできたターミナルである。ここからお台場全景や富士山まで見渡せる絶景展望スポット。

勝どき橋

1905年1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝どきの渡し」が設置された。築地と対岸の月島の間を結ぶ日本では珍しい可動橋であるが、現在では機械部への電力供給もなく、可動部もロックされ跳開することはない。近年、再び跳開させようと動きはあるものの、機械部復旧に約10億円ほどかかってしまうことと、現在の道路交通量から実現のめどは立っていない。勝どき橋工事は1933年に着工し、1940年に完成。1940年に月島地区で開催予定であった、「国際博覧会」へのアクセス路とする計画の一環でもあった為、日本の技術力を誇示できるような橋が求められ、すべて日本人の手で設計された。結果、「東洋一の可動橋」と呼ばれる評判を得た。勝どき橋の名前の由来は、戦争における勝利の際に勝どきをあげる姿が、橋の開閉の姿に似ている事から来ていると言う。

永代橋

永代橋は1698年に江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝したものである。「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという「永代」説がある。1807年8月19日、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐えきれず、落橋事故を起こす。死者は1500人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。事故後、橋の維持の重要性に気づいた幕府により再架橋されるが相当痛んでいたようで1897年に日本初の鉄橋として架橋された。しかし、関東大震災に被災し、震災復興事業の第一号として現在の場所に架けられた。2007年に都道府県の道路橋として初めて、勝どき橋、清州橋と共に永代橋が国の重要文化財に指定された。

天王洲アイル

1980年代後半のバブル景気の末期以降、22haに及び民間では全国最大規模の都市開発が為されており、レストランやファッション施設、ホテルなども集まっている為、1990年初頭の完成当時より現在までテレビドラマのロケ地やCMによく使われた。最近は六本木ヒルズなどに地位を譲ったものの、高層マンションが着実に増えてきたことから家族連れの姿も見られるなど客層は広がりをみせている。地名の由来はこの場所がまだ江戸湾であった1751年に牛頭天王のお面をこのあたりの海から引き上げた。このお面は南品川の天王祭において神輿の屋根につける「神面」となっているが、このいわれから「天王洲」の地名の由来となっている。「天王洲」の「洲」は元々、海中の土砂が堆積してできた州である所から来ている。また、アイルとは英語で「島」を意味する言葉で、この地が東京湾のウォーターフロントの良き景観に恵まれたロケーションであるため、この名前が付けられた。

横浜クルージングガイド

横浜みなとみらい21、MM21

横浜西区と中区の海沿いの工業地域を再開発して作ったエリア。かつて三菱造船の横浜造船所や国鉄東横貨物駅を始めとする臨海工業地域を、横浜市を始めとする臨海工業地域を、横浜市を始めとする「みなとみらい21計画」にて再開発。1989年の横浜美術館、横浜マリンタイムミュージアムなどがオープン、広大な敷地を展覧会で使用した後、パシフィコ横浜・ランドマークプラザ・横浜銀行本店ビル・クィーンズスクエア・ジャックモールなど次々に施設ができていった。ランドマークタワーやクィーンズスクエア横浜は西区で、運河を渡ってよこはまコスモワールドや横浜ワールドポーターズは中区になる。

横浜赤レンガ倉庫

横浜赤レンガ倉庫は歴史的建築物の愛称であり、正式名称は新港埠頭保税倉庫(しんこうふとうほぜいそうこ)である。赤レンガ倉庫は明治時代の終わりから大正時代の初めにかけて建設された。当時の横浜港は1859年の開港から半世紀を経て、近代的な港湾の整備が横浜市にとって急務となっていた。第二次大戦終戦後の1945年に、連合国軍に接収され、横浜税関に連合国軍総司令部が置かれた。大部分が連合国軍に接収されて使用不能となり、横浜の復興を遅らせる原因となった。1956年に接収が解除され、貿易の急増によって入港船舶トン数、貨物量など、すべての数値が戦前の記録を更新した。しかし、貨物のコンテナ化が進展して他の埠頭に主役が移り、1976年には取扱貨物量が激減した。1986年から放送されたドラマ、「あぶない刑事」のエンディングでロケ地になり倉庫への落書きなども横行した。1992年、横浜みなとみらい21の整備に伴ってウォーターフロントの再開発計画も進められ、横浜市は国から取得。こうして、2002年4月12日、付近一帯は展示ホール、広場、店舗からなる商業施設、赤レンガパークとしてオープンした。

大桟橋

横浜港大桟橋国際客船ターミナルの通称で、横浜港における客船の発着場であるとともにシンボル的な存在として観光地としても知られている。大型客船が着岸できるターミナルとして作られ、クィーンエリザベス2世号クラスの客船が2隻着岸できる。大桟橋は船客出入国の場であり、横浜港や横浜税関を経由する旅客や移民の出入国の場であった。現在でも外国航路にでるクルーズ客船に乗船する際はここで通関や出入国手続きを行う。大桟橋屋上のフリースペースは横浜の一大観光スポットとなっているが、2006年に横浜市港湾局が愛称を一般から公募し、全体を大きなクジラに見立て「クジラの背中」と選定された。

横浜ベイブリッジ

1989年に開通した長さ860mのつり橋である。上層部は首都高速道路湾岸線で、下層部は国道357号となっている。大黒埠頭側には橋脚の道路下にある展望台までの遊歩道「横浜スカイウォーク」があり、大型客船の通過時などは迫力のある風景を見学する事ができる。建設の目的は、高度経済成長期によって悪化した横浜市街地における渋滞の解消である。名称はサンフランシスコベイブリッジを模倣したとされる。完成時において全国最長の橋脚間の距離であったことから、故障車以外の駐停車は禁じられている。

横浜マリンタワー

山下公園に隣接している横浜港の象徴的なタワー。横浜港開港100周年記念行事の流れの中から横浜港を象徴するモニュメントを建設しようという計画が起こり1961年に建設された。高さ106m。灯台を意識したデザインとなっており、実際には頭頂部には灯台としての機能も併せ持つ。ギネスブックには最も高い灯台として記録されているが実際には灯台としての重要度はあまり高くない。2006年10月13日、運営会社の「氷川丸マリンタワー株式会社」は入場者減に伴う経営悪化を理由に、隣接する氷川丸とマリンタワーの営業を12月25日に終了した。

氷川丸

山下公園前の横浜港に係留されている日本の貨客船。船名はさいたま市の氷川神社より取られた。現在でもブリッジの神棚に氷川丸が祀られている。太平洋戦争中は日本海軍の病院船として使用され、姉妹船が次々と戦没する中、氷川丸は3度機雷に撃たれるも生還を果たす。また太平洋戦争中、病院船として運用されている時に5日ほど米軍潜水艦に監視されていた。当時船内に軍用航空燃料が積まれており、もしこれが米軍潜水艦に見つかった場合、病院船としての扱いを喪失し、拿捕、撃沈の危険性があり、国際法に反している為国際的に立場が悪化する可能性があった。その為万が一という時は自沈装置が設けられており、5日間緊迫した空気の中で難を逃れた。

山下公園

山下公園は関東大震災の復興事業の一つとして瓦礫を埋め立てて造成され、日本で最初の臨海公園として1930年に開園した。

日本丸、海王丸

1927年に鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」が千葉県銚子沖にて暴風雨の為沈没、生徒、乗組員53名全員が死亡する惨事が起こった。この事故が契機になり1928年大型練習帆船が建造され、それが日本丸と海王丸である。現在は日本丸二世、海王丸二世になる。